■南部杜氏自醸清酒鑑評会■
南部杜氏自醸清酒鑑評会(南部杜氏協会主催)は、全国からよりすぐった銘柄から上位15点を決める。
北海道から愛媛県までの約200工場が、新米で造った吟醸酒(精米歩合60%以下)約600点を出品。
第1審、第2審を経て、上位15点が発表され、うち上位5点については、賞状とともに賞杯も授与される。
竹内酒造は本年度で16年連続優等賞を受賞しております。
■南部杜氏とは■
全国規模の経済が形づくられ、商業が飛躍的に発展した江戸時代、東北で採れる良質な砂金に魅かれて遠方よりはるばる南部まで足をのばした人々がいた。近江(おうみ){現在の滋賀県}商人と呼ばれる一団である。のちに南部杜氏の里として花開く地にその種を播いたのは、1662(寛文2)年ごろ盛岡に足を踏み入れた近江商人・小野権兵衛(おのごんべえ)だと伝えられる。
権兵衛は、すでに近江商人の先駆けとして盛岡に定住していた村井新兵衛(むらいしんべえ)宅に寄宿、盛岡周辺の村々を志和(しわ){現在の紫波町(しわちょう)}近辺まで行商に歩く。都の質流れの古着や木綿などを商い、代わりに砂金、紅花、生糸などを江戸や上方に送っては利益をあげた。やがて村井新兵衛の親類分となり「小野」から「村井」へと改姓、志和に土蔵を建てて商売の本拠とし、「近江屋」と称する造り酒屋(質屋を兼業)を開業した。大阪から杜氏を招いて1678(延宝6)年秋に売り出した新酒は、当時としては珍しい澄(す)み酒(清酒)。濁(にご)り酒の味しか知らなかった南部の人たちは、関西流の仕込み酒にさぞかし目をみはり、美酒に酔ったことだろう。
近江屋は大いに繁盛した。現在の紫波・稗貫(ひえぬき)一帯にいくつかの分家(出店)を持つに至ると、みずからの蔵で造る酒だけでは足りず、不足分を付近の農家に委託して造らせるようになった。農閉期の副業として下請け的な酒造りを担った農家を「引酒屋(ひきざかや)」と呼ぶが、何軒もの農家から酒を引き取る近江屋では、その酒質を揃えるために、上方から招いた専属杜氏に引酒屋を巡回指導させたようだ。こうして、澄み酒醸造技術が紫波・稗貫の近江屋周辺の農村に普及した。
雪深く寒冷な北上盆地の自然条件は、住む人々におのずから冬季農閑期の利用法を模索させた。上方や江戸の酒造りの流儀に触れた南部の人々は、年月とともにそれを南部流として我が物とする。
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